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2015. 06. 19  
最初のビートルズ体験は1965年、姉がコロムビア社製の4つ足のステレオで毎日のようにかけていた 『4人はアイドル』 を聴いたときだ。

UKオリジナル盤の『HELP』と違って、東芝の『4人はアイドル』は見開きジャケットで、中には4人のサイン入りの写真と星加ルミ子さんのライナーノーツが印刷されていて、オマケに付けられた映画のオフショットのカラーポートレートとも相まって、とてもお買い得感があった。
表ジャケはオリジナルと同じだったが、裏ジャケはバハマの砂浜で4人が並んでいる写真が使われており、当時はこっちが表と勘違いされていて、レコード店でも裏ジャケを正面に並べられていた。

当時の東芝レコードのウリであったエバークリーンレコードという赤のオデオン盤は、ホコリがつきにくい加工がされている優れもので手入れがラクで大変ありがたいものだった。

小学2年の私には、当時の大人が言っていたような「女のような髪型をしたうるさい4人組」という印象が強かったが、流れてくる音楽は子供心にもどこか新鮮だった。

映画の挿入歌で占められたA面の水準が高いのは当然であろうが、B面も劣らず佳曲ぞろいだった。
「イエスタデイ」にときめくことはなかったが、ジョンが大嫌いだったという「イッツ・オンリー・ラブ」はジョンらしい寂しげな曲調が大好きで一時期は随分ハマったものだ。 
ポールの残念な曲と言われている 「テルミー・ホワット・ユー・シー」も捨てがたい味があって大好きな曲のひとつ。
ジョージの 「ユー・ライク・ミー・トゥ・マッチ」 はA面の 「アイ・ニード・ユー」とともにジョージ特有の甘さとさわやかさが混在していてジョンとポールの曲とは一味違う魅力があり、曲作りに関しても第1作 「ドント・バザー・ミー」と比べて格段の成長がうかがえる。

このアルバムは一般的には、中期(ラバーソウル、リボルバー)への過渡期という捉え方をされているが、自分にはこのアルバムだけがどの時期にも属さない孤高の存在のように感じられる。

沈んだトーンの前作 『ビートルズ・フォー・セール』 とは明るさとアカ抜けている点で全く違うし、『ラバーソウル』『リボルバー』のような凝った音作りまでは行っていない点でいい意味で軽い。

エレクトリック・ピアノがふんだんに使用され、ボンゴやギロ、クラベスなどがラテン風味を醸し出し、サロンにいるようなリラックスした雰囲気が全編に漂っている。
4人がスタジオにあった楽器を片っぱしから持ってきて自由に楽しんで作ったように感じられるのだ。

最初に聴いたのが洗練された『4人はアイドル』だったため、後で買った米キャピトル盤『MEET THE BEATLES』は暗く重たい印象だった。
「抱きしめたい」も「オール・マイラヴィング」も「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア 」もどれも初々しさに満ち溢れて初期の勢いを伝えてはいるものの、構成は単調であり、録音のせいか演奏もヴォーカルも荒さが目立ち、「ヘルプ」や「恋のアドバイス」のような複雑なコーラスや展開の面白さを知った耳には粗野に感じられた。

ビートルズの全貌を知り、『リボルバー』や『アビイロード』の素晴らしさを知ったあとでも、たまに『4人はアイドル』をかければ、家に帰ってきたような懐かしさと安心感に包まれる。
『4人はアイドル』は特別なアルバムなのである。



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2015. 05. 23  
''Beatles For Sale'' は傑作ぞろいのビートルズのアルバムの中ではあまり人気がない。

アメリカ初上陸に始まり、ツアーと映画製作に明け暮れた1964年の12月にクリスマス商戦を狙ってリリースされたこのアルバムは、作曲に十分な時間が取れなかったため、全14曲中オリジナルは8曲、あとはカヴァーという内容。
全曲オリジナルで揃えられた前作''A Hard Day's Night'' と比べれば旗色が悪いのは仕方がないのかもしれない。

加えて、ビートルズらしいセンスのかけらも感じられない「売り出し中」というチープなタイトルも急場しのぎであわただしく制作されたことを自ら物語っているようにも思える。

それでも、''Beatles For Sale ''はマイ・フェイバリット・アルバムだ。
いきなりヴォーカルで始まる' No Reply' から 'Baby's In Black' までの流れは何度聴いても素晴らしく、ジョンの寂しさを湛えたメロディラインと内省的な歌詞は、沈んだ雰囲気のカヴァー写真とも相まってアルバム全体に統一感をもたらしている。

ジョンはチャック・ベリー、ポールはリトル・リチャード、ジョージはカール・パーキンスと、それぞれのアイドルのカヴァーはいずれも1~2テイクで収録完了となっており、そのライブ感は圧巻だ。

また、ジョンが歌う 'Mr.Moonlight' のインパクトの強さは、ドクター・フィールグッド&インターンズのオリジナルをはるかに凌いでおり、'Twist&Shout' と並んでビートルズのオリジナルと勘違いされている曲である。

以前に書いたが、ポールの残念な曲が2曲収録されているのもこのアルバムだ。
'Every Little Thing' と 'What You're Doing' はいろんな趣向を凝らしていて個人的には大好きな曲だが、何故ここまで評価が低いのか理解できない。

そして、大のお気に入りが 'I Don't Want To Spoil The Party' 。
カントリータッチのこの小曲は、恋人がパーティに来ないことにがっかりして帰る男を歌った「いつものジョンの強がり」の曲である。

アコースティック・ギターとエレクトリック・ギターのイントロ、ジョンのリード・ヴォーカルとポールのハモリ、ポールとジョージのバック・コーラス、チェット・アトキンス風のギターソロ、アコースティック・ギターとエレクトリック・ギターのアウトロと、ビートルズの美味しいところがこれだけ詰め込まれた曲も珍しい。

ロカビリー色の強いこのアルバムには、やはりグレッチがよく似合う。
だから、''Beatles For Sale'' の曲を演奏するときはなるだけグレッチを使うようにしている。

ジョンとポールはわからないが、少なくともジョージはこのアルバム制作を楽しんだに違いないと思っている。


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The Beatles - "I Don't Want To Spoil The Party" Stereo Remaster




2015. 01. 26  
トラヴェリング・ウィルベリーズは、ジョージ・ハリスンを中心に、ボブ・ディラン、ロイ・オービソン、トム・ペティ、ジェフ・リンという豪華メンバーで作られた覆面バンド。
もともとは、1988年にリリースされたジョージのアルバム"Cloud NIne" からのシングルカット 'This is Love' のB面を5人で作ったのが始まりだ。

そうして出来上がったB面 'Handle With Care' をレコード会社に持ち込んだところ、シングルのB面ではもったいないとの話になり、それなら5人でアルバムを作ろうということになったのだという。

各メンバーがリード・ヴォーカルを取る曲はどれもそれぞれの持ち味が出ていて、生き馬の目を抜くショー・ビジネス界を生き延びてきた男が持つタフさとやさしさと色気が感じられ、聴くほどに味が出てきて飽きることがない。

特にロイ・オービソンが歌う 'Not Alone Anymore' は素晴らしい。
これを聴けば彼の声がヴェルベット・ヴォイスと形容されるのに納得する。
それだけに、アルバムがチャートナンバーワンになるのを見届ける前に彼が急逝したことは本当に残念だ。

アルバムのいたるところで聴けるビートルズを思わせるメロディラインとキャッチーなリフはジョージとジェフ・リンによるものだ。

中でもお気に入りはやっぱりファーストシングル 'Handle With Care' だ。ジョージお得意のDコードからベースラインが下降するリフとそれぞれの個性を生かしたヴォーカルの分け合いが微笑ましく、のびやかなスライドギターもジョージらしい。

トム・ぺティもこの曲が気に入っているらしくコンサートでもたびたび演奏している。
ハートブレイカーズのギタリスト マイク・キャンベルの腕前には定評があるが、スライドギターの出来栄えもジョージに劣らず素晴らしく、ベストカバーだと思う。

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Traveling Wilburys - Handle With Care
Wilburys Not Alone Anymore
Tom Petty & The Heartbreakers - Handle With Care (live 2006)
2014. 02. 09  
今年2014年はビートルズ全米デビュー50周年だという。

ビートルズのことだからどの年でも何らかのアニバーサリー・イヤーではあるのだが、このことに関してはちょっと意味合いが違う。
60年代当時、世界一の音楽マーケットはアメリカであり、アメリカを制覇することは世界を制覇することだったからだ。

アメリカ上陸の前年の1963年、すでに「プリーズ・プリーズ・ミー」「フロム・ミー・トゥ・ユー」「シー・ラブズ・ユー」のヒット3連発で本国イギリスではトップスターの仲間入りを果たしていたビートルズも、アメリカではマイナー・レーベルでの発売ということもあってか、まったく鳴かず飛ばずの状態だった。

当時イギリスでトップスターだったクリフ・リチャードでさえ、アメリカではチャートインこそしたものの決して成功したとはいえない状況であったから、ビートルズの4人もアメリカでチャート・トップを取るまでは渡米はしないと固く心に決めていたという。

1964年1月16日フランス・パリ・オランピアでの反応の薄い公演を終えた夜、ジョルジュ・サンク・ホテルのスイート・ルームに戻った4人を待っていたのは、アメリカ、キャッシュ・ボックス誌のシングル・チャートで「抱きしめたい」が43位から1位に躍り出たという知らせだった。

「やった!これでアメリカに行ける。」4人が大喜びしたのは想像に難くない。R&R、R&B、C&W、ブルースを生んだ国、チャック・ベリー、リトル・リチャード、バディ・ホリー、そしてエルヴィスの国、憧れの地アメリカに行ける。

2月7日、パン・アメリカン航空707でジョン・F・ケネディ空港に降り立った4人を待っていたのは3,000人のファンの絶叫だった。

アメリカの聴衆に初めて演奏を披露したのは2月9日の「エド・サリヴァン・ショー」でだった。
全米で7,300万人が観たというこのときの放送は視聴率世界記録を打ち立てた。
また、ビートルズが演奏していた10分間、犯罪がほとんど起きなかったという。
この放送の翌日プロのミュージシャンを含む全米中の若者が楽器店に走ったといわれている。
(バーズのロジャー・マッギンがビートルズを観てリッケンバッカーの12弦ギターを買いに走ったのは有名な話だ。)

このときを境にビートルズはイギリスから世界へと羽ばたくことになる。
まさに世界制覇の瞬間だったのだ。



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ジョン「俺たちはどこへ行くんだ?」「トップのそのまた上さ、ジョニー!」
2013. 11. 24  
かつてないほど日本中が沸いたポールの久々の来日。
先日のサムタイム・ライブでもまだ興奮が冷めやらない雰囲気の中、バンドもいつもより熱い演奏ができたように思う。
お客さん方と同じ話題で盛り上がり、あらためてビートルズファンであることのありがたさを感じた。

さて、これからクリスマス、年末と世間があわただしくなりだす頃だが、ビートルズ・ファンにとってはひときわ感慨深い季節を迎える。

11月29日と12月8日、2週間と隔てない間に二人のビートルの命日が今年もやってくる。

ジョンの命日は毎年何らかのニュースにはなるけれど、ジョージの命日についてはほとんど話題にのぼることはない。
「静かなビートル」は亡くなっても「静かな」ままだ。
まあ、それがジョージらしいといえばそうなのだが。
きっと本人も「ジョンの命日が近くてよかったよ。おかげで僕はそっとしといてもらえるからね」とでも言ってそうだ。

2001年11月29日からもう12年。
生きていればちょうど70歳。

ポールとは1歳違いで、実はビートルズの中でも一番付き合いが旧い。
同じリバプール・インスティチュートに通う二人は通学のバスで知り合い、ロックンロールとギターが好きなことから親しくなり、ポールがジョンと知り合う前から一緒にギターを弾いていた仲だ。
二人でウェールズまでヒッチハイクしたこともあったという。

ポールは常に一つ下のジョージを弟のように感じていて、それはビートルズ時代も終始変わらず、ジョージはそういうポールの「上から目線」を嫌っていたともいう。

そういったバンドの内幕は、今年イギリスで発刊されたジョージの新しい伝記『George Harrison : Behind the Locked Door』でも詳しく書かれているらしい。
http://ro69.jp/blog/kojima/90089
http://www.dailymail.co.uk/home/event/article-2442688/The-Beatles-George-Harrison-feared-shot-hated-pushed-Paul-McCartney.html

ジョージの曲に関して「ポールが張り切る」のは有名な話だ。
"Taxman" "Something" "While My Guitar Gently weeps" "Here Comes The sun" etc
どの曲でもポールのベース、ギター、コーラスは本当に素晴らしい。
たとえジョージが「弾きすぎ」と言ったとしても。

その一方で、ポールに対して「冷ややかな態度を取る」ジョージも、1975年のウィングスの船上パーティーに元メンバーでひとり顔を出している。
1980年、ポールが成田空港で逮捕されたときに真っ先に電報を打ったのはジョージだった。

ジョージが最期を迎えると悟ったとき、病床にポールとリンゴを呼び、ジョークを飛ばしあっていた3人も最後には手をつないで泣いたという。

そして2001年11月29日、ジョージが息を引き取ったのはポールが所有する家だったらしい。

ポールはジョージの訃報に接し、「かわいい弟みたいなものだった。」と語っている。

ここ数年ポールはコンサートで必ず"Something"を演奏しているが、弾いているウクレレはジョージからプレゼントされたものだ。


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Paul McCartney Osaka(12 Nov 2013)-Something-
Paul McCartney - Something - Fenway Park, Boston 7-09-2013

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