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2008. 02. 24  
今日2月24日はジョージの65回目の誕生日である。
長い間1943年2月25日というのが通説となっていたが、実際は24日であることを後にジョージ本人が明かしている。

ジョージは4人兄弟の末っ子だったが、ビートルズでも同じように末っ子的存在だった。
ジョージがジョンのクオーリーメンに加入したのは、1958年ジョージが15歳の時。
この時ジョンは17歳、ティーンエイジャーにとってこの年の差は大きい。
ジョンは当時のジョージのことを「使い走りなんかしていて、まるっきり子供に見えた」と語っている。
ジョンとシンシアは、どこに行くにもつきまとってくるジョージ坊やにとても困ったそうだが、結局はジョージも入れて3人で遊んだという。
'Do You Want To Know A Secret?'や'I 'm Happy Just To Dance With You'は、オリジナル曲のないジョージにジョンがプレゼントした曲だ。

ポールはジョージが通うリバプール・インスティチュートの1学年上で、ポールがジョンと知り合う前から一緒にギターを弾いたり、ヒッチハイクに行ったりする仲だった。
4人の中で一番年が近い二人はケンカもよくしたらしい。実際は9ヵ月しか違わないのだが、常にポールはジョージに対して兄貴面をしていたようだ。
ザ・ビートルズ・アンソロジーの中でジョージは「彼は常に僕より9ヵ月年上だ。今、これだけの歳月が経っても、やっぱり彼は9ヵ月年上なんだよ」とジョークまじりに話している。
2001年11月、ジョージの訃報を受けたポールは寂しげな表情でこう語った。「ほんとに僕のかわいい弟だったんだよ。」

ビートルズの4人は本当の兄弟のように仲が良かったが、そのビートルズの中でもジョージと一番の仲良しだったのはリンゴだろう。
リンゴをビートルズに引き入れるのに最も積極的だったのはジョージだったし、そのせいでピートのファンから頭突きを食らった。それは目のまわりにアザを作るほど強烈なものだったが、ジョージはそれを隠すことなくフォトセッションに臨んでいる。
映画「レット・イット・ビー」でリンゴのオクトパス・ガーデンの作曲を手伝うジョージを観ることができるが、同じ映画でのポールのジョージに対する高圧的な態度とは対照的に暖かく友好的で微笑ましい場面だ。

解散後も二人は協力し合っている。リンゴのファーストシングル'It Don't Come Easy'はジョージのプロデュースにより71年4月にリリースされ、米英ともに4位を記録。
リンゴのアルバムでは4枚で共演しており、最高傑作と言われる"Ringo"では、ジョージはジョンやポールよりも多い3曲を提供し、シングルカットされた'Photograph'は全米1位の大ヒットとなった。
ジョージのアルバムでは、"All Things Must pass"を始め5枚で共演。ジョージの数少ないライブでも「バングラデシュのコンサート」「プリンス・トラスト・コンサート」「カール・パーキンス&フレンズ-ア・ロカビリー・セッション」で共演している。

リンゴは、2003年リリースのアルバム"Ringorama"収録の’Never Without You'でジョージを偲んでいる。















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2008. 02. 15  
最近、調べものをしたり、ブログを書いたりしている時には必ずインターネットラジオを聴いている。
以前はiTunesを聴いていたが、好きな曲しか入れてないので心地よい反面、どうしてもマンネリになってしまう。

ラジオの良いところは、予想がつかないところだと思う。
思いがけず素晴らしい曲に出会うこともあれば、長年探し求めていた曲にばったり出くわしたりすることも。
持っている曲でも自分の意思とは関係なく突然かかったりすると、また違った魅力を発見することもある。

というわけで、お気に入りのサイトを紹介しよう。

http://www.windowsmedia.com/radiotuner/findstations.asp?locale=809&genre=OL

ここにはオールディーズの放送局ばかりが集められている。
50年代でも60年代でも70年代でも、自分の好きなチャンネルを選べばよい。

ちなみに、いつも聴いているのは CRIK FM-The Lynx Super70's
チャンネルを選びさえすれば、いつでも、FENを聴いていた中・高校生の頃に戻って、当時の幸せな気分にまた浸ることができるのだ。
しかも、当時とは違って最高の音質で。

今日のBGMは、パートリッジ・ファミリーの"I'm on My Way Back Home "


2008. 02. 10  
ほとんど何も身につけていないエキゾチックな女性が挑発するようにこちらを指さしているジャケットは妖しく、中学生には十分刺激的だった。
頭の部分にかかっているBADFINGERという文字も何か意味深な感じがした。

『No Dice』はバッドフィンガーの2ndアルバムで1970年11月にリリースされている。
アルバムに先行してリリースされたシングル「No Matter What(嵐の恋)」は、全米8位、全英5位の大ヒットとなった。
また、収録の「Without You」は後にニルソンによってカバーされ、72年に全米1位を記録する大ヒットとなり、ピート・ハム/トム・エバンスのコンポーザーとしての評価を高めた。
本作もローリング・ストーン誌のアルバム・オブ・ジ・イヤーに選出されている。

続く3rdアルバム『Straight Up』はジョージ・ハリスン、トッド・ラングレンによりプロデュースされ、72年2月にリリース。
このアルバムからは、「Day After Day」(72年全米4位、全英10位)、「Baby Blue」(72年全米14位)と2つのヒット曲が生まれ、この頃がバンドの絶頂期であった。

その後はバンドにとって厳しい時代となる。
悪徳マネージャーによる搾取に加え、アルバムセールスの不調、メンバー間のゴタゴタが続き、失意のどん底にあったピート・ハムが75年4月に自殺。
79年にはトムとジョーイによりいったんはバンド復活するものの、83年に今度はトムが自殺。
ビートルズに見いだされ、数々の名曲を生み出し、一度は世界的な成功を勝ち取ったにもかかわらず、悲劇のバンドと呼ばれる由縁である。

しかし、皮肉なもので、80年代以降になって、一時は中古盤がとんでもない値段で取引され、90年代にはパワー・ポップの元祖としてトリビュートされるようになった。
ピートとトムという優れたソングライターを失ったことを思うと、これがもっと早い時期に来ていればと残念でならない。

なお、ドラムスのマイク・ギビンズは2005年10月4日に死去。
リード・ギタリストのジョーイ・モーランドは現在もジョーイ・モーランズ・バッド・フィンガーとして活動を続けている。



嵐の恋


このブログを書き終わろうとしたちょうどその時、インターネット・ラジオから流れてきたのは「Baby Blue」!
いつ聴いてもいい曲に変わりはない。ピートとトムも見てくれてるのかな。


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