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2008. 08. 24  
ビートルズ関連の書物は解散後40年近く経っている現在でも毎年何冊も発刊されており、あらゆる分野の研究もされ尽くした感があるが、その原点はハンター・デイヴィスが1968年に著した伝記『ビートルズ』にあるのではないだろうか。

4人の生い立ち、バンドがどのように出来ていったか、ハンブルグでの修行時代、レコード・デビュー、ツアー、ブライアン・エプスタインの死、現在(68年)の4人までがつぶさに著されている。

音楽家の伝記はクラシックかジャズの巨匠に限られていた当時、ロックの、しかも現存するミュージシャンのものは皆無に等しく、あったとしても過去の記事の寄せ集めだった。
日本語版は翌年1969年7月に発刊されているが、訳者ノートにもあるとおり、この本の優れている点は、著者ハンター・デイヴィスが労を惜しまず、ビートルズの4人はもちろん、家族や友人、関係者にインタビューしてその生の声を生き生きと伝えているというところだ。

調査に2年も費やし本人たちの生活にも数ヶ月入り込んで書かれた本書では、そばにいる人間にしか見ることのできないビートルズの日常も描かれている。
『「イッツ・ゲッティング・ベター」って曲を作ろうや』とポールに話しかけているジョン。「ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ」の歌詞を考えているジョンとポール。デビューまもないピンク・フロイドがスタジオにビートルズの仕事を見学に来たときの様子など。
ハンター・デイヴィスが結びで「現存する人たちの伝記を書くという仕事には、なにもかもが現在進行形だというむずかしさがある。」と記しているとおり、まさに「なにもかもが」リアルタイムだ。

また、4人のプライベートの生活にも多くの頁が割かれている。
ジョンとシンシアとジュリアンの家族団らん、仲むつまじいポールと婚約者のジェーン・アッシャー、ジョージとリンゴもそれぞれ最初の妻であるパティ、モーリンと仲良くやっている。

アップルを設立し、「サージェント・ペパー~」や「マジカル・ミステリー・ツアー」「レディ・マドンナ」を発表するなど、創造性において絶頂期にあったビートルズがそこにいる。小野洋子もリンダ・イーストマンもまだ現れていない頃の無邪気な4人をみることができる。

今ではミュージシャンのバイオグラフィーは珍しいものではない。
ボブ・ディラン、エリック・クラプトンなど売り上げが60万部を突破するような優れたものも出版されているが、ハンター・デイヴィスの『ビートルズ』が先駆けとなったことは言うまでもないだろう。
今でも調べものをする時はこの本に立ち返ることが多い。

九州の片田舎の中学生がリヴァプールというイギリスの港町に興味を持ち、行ってみたいという夢を抱き始めたのもこの伝記を読んでからだ。その夢が実現するのは20年も後のことだったが。


ビートルズ
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2008. 08. 16  
東芝レコードは英オリジナルEPのほかにも、独自編集のEPを12枚も発売していた。
それらは「コンパクト7」というシリーズで、ビートルズのほかにもベンチャーズなどがあった。

手頃な価格で4曲聴けるEPレコードのニーズは高く、東芝のほかCBSソニー、日本グラモフォン、RCAビクター、キングなど各社が同様の企画を持っていた。

東芝のコンパクト7シリーズはすべて同じデザインでジャケット写真には珍しいスナップショットが多く使われており、眺めていても楽しいものだった。

65~66年の曲が収められているこのEPは、「ペーパーバック・ライター」「ノルウェーの森」「恋を抱きしめよう」が一度に聴けるのが魅力で迷わずに買った記憶がある。
ジャケット写真には英ABCテレビの「サンク・ユア・ラッキー・スターズ」のリハーサル風景が使われている。



コンパクト7
2008. 08. 10  
アナログ盤にはLP(アルバム)とシングルの他に、サイズはシングル盤と同じだが回転数が遅いため収録時間が長いEPというものがあった。
2曲入りのシングル盤が400円だった当時、4曲入って600円のEP盤は、LPを年に2~3枚しか買えなかった子供にとってすごくありがたいものだった。

英パーロフォンから発売されたオリジナルEPには13種類14枚があり、ほとんどはアルバムからの抜粋だが、シングルヒットを集めたもののほか、EP独自企画もあった。
5枚目の『のっぽのサリー』には同名曲のほか「アイ・コールユア・ネーム」「スロー・ダウン」「マッチボックス」が収録されているが、それらは当時EPでしか聴けないものだった。
『マジカル・ミステリー・ツアー』はもともとEP2枚組でリリースされていたのを、米キャピトル・レコードが67年のシングル曲を加えてLPに仕立て上げたものだ。

『The Beatles' Hits』と題されたこのEPには「フロム・ミー・トゥ・ユー」「サンキュー・ガール」「プリーズ・プリーズ・ミー」「ラブ・ミー・ドゥ」が収録されており、シングル3枚分が一度に楽しめる。
デビューしたばかりの4人の初々しい姿と踊っているような文字、時代を感じさせるジャケットも魅力だ。



ザ・ビートルズ・ヒッツ
2008. 08. 03  
初めて自分で買ったアルバムがこれだ。
オリジナル・セカンドアルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』とジャケットはまったく同じだが、タイトルは『ミート・ザ・ビートルズ』
1963年12月にキャピトル・レコードから発売されたアメリカでのデビュー・アルバムである。

『ウィズ・ザ・ビートルズ』から「プリーズ・ミスター・ポストマン」「ロール・オーバー・ベートーベン」「ユー・リアリー・ゴッタ・ア・ホールド・オン・ミー」「デビル・イン・ハー・ハート」「マネー」が外され、「抱きしめたい」「ディス・ボーイ」「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」が加えられている。
本国ではセカンド・シングルがチャート1位となったビートルズも、アメリカでは最初なかなか売れなかった。
「プリーズ・プリーズ・ミー」も「フロム・ミー・トゥ・ユー」も「シー・ラブズ・ユー」も鳴かず飛ばずで、ブレイクするのは「抱きしめたい」が全米1位を獲得するまで待たなければならなかった。
したがってキャピトルも、デビュー・アルバムを出すならばシングル・ヒットをメインに、よりインパクトのあるジャケットで、ということでこのような体裁・内容になったのだろう。

このアルバムを買った71年当時、東芝レコードからはオリジナル・アルバム13タイトルに加え、アメリカ・キャピトル盤と日本独自編集盤も発売されており全部で30種類はあっただろうか。

その日本でのデビュー・アルバム『ビートルズ!』もまったく同じジャケットで、「ラブミー・ドゥ」から「抱きしめたい」までのシングルヒット曲すべてが収められ14曲入りで1800円とお買い得だったにもかかわらず、何故キャピトル盤のほうを買ってしまったのだろうか?値段は2000円もするのに日本盤より2曲も少ない。ヒット曲は「抱きしめたい」と「オール・マイ・ラヴィング」だけ。

たぶん、見開きジャケットと「STEREO」の表示にこっちのほうが高級だとでも思ったのだろう。
今思えばまったくの勘違いである。もともとビートルズがデビューした頃は録音自体「モノラル」だったのだから。

中身よりも体裁で買ったアルバムなので、洋楽に目覚めて間もない中学生にはあまり面白いアルバムではなかった。当然のことながら「抱きしめたい」と「オール・マイ・ラヴィング」以外の曲を聴くことはほとんどなかった。
「ティル・ゼア・ウォズ・ユー」や「イット・ウォント・ビー・ロング」の良さを知ったのは、自分がバンドで演奏し始めたつい最近のことである。


ミート・ザー・ビートルズ

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