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2011. 05. 14  
ウォーカー・ブラザーズのジョン・ウォーカー(本名 ジョン・マウス)が5月7日肝臓がんのため亡くなった。
ザ・ウォーカー・ブラザーズのジョン・ウォーカー死去

1943年生まれのジョン・ウォーカーは1964年にスコット・ウォーカー(スコット・エンゲル)、ゲイリー・ウォーカー(ゲイリー・リーズ)と共にウォーカー・ブラザーズを結成、本国アメリカではパッとしなかったが、1965年にリリースした Make It Easy On Yourself (涙でさようなら)の大ヒットを機にイギリスで人気が沸騰し一躍トップスターに躍り出た。

日本には67年にプロモーションのため初来日、精力的にテレビ番組に出演し、これをきっかけとして爆発的な人気を博した。
その翌年の再来日のときには約1週間のツアーを行い、テレビでもコンサートの模様が放映され、姉と一緒に観た記憶がある。
ビートルズもよく知らなかった小学生の私が初めて見た「外タレ」だった。
今で言うイケメン揃いのトリオで顔も良く似ていたから本当の兄弟だと思っていた。
また、不二家ルック・チョコレートのCMにも出演するなど、その人気は異常とも言えるものだった。

当時アイドルからアーティストに変貌していたビートルズに代わって女子のハートをとらえたのがウォーカーズと後に出てくるモンキーズだったが、コミカルなモンキーズと比べ、ウォーカーズのダークで沈んだ佇まいは落ち着いた大人の雰囲気を醸し出していた。
他のアイドル・グループと同様に、彼らの音楽性は軽視されがちだが、そのサウンドとヴォーカルスタイルは、バッハの「トッカータとフーガ」をモチーフにした「孤独の太陽」や「太陽はもう輝かない」に代表されるように、重厚でドラマティック、「フィル・スペクター以上にスペクターらしい」と評されほどの本格派であった。

1968年にグループは解散。スコットとジョンはソロ歌手として、ゲイリーはゲイリー・ウォーカー&ザ・レイン(バッド・フィンガーのジョーイ・モーランドが在籍)を結成するが、結果的に成功を収めたのはスコットだけだった。

1975年にウォーカーズは再結成し No Regrets を始め3枚のアルバムををリリースしたが、ほとんど話題になることもなくグループは自然消滅した。

絶頂期はほんの一時期であったが、60年代を彼らの残した音楽を抜きには語れない。
「ダンス天国」といえば誰もが、ウィルソン・ピケットではなく、ウォーカー・ブラザーズのバージョンを思い浮かべるだろうし、ディランの「ラヴ・マイナス・ゼロ」を初めて聴いたのはウォーカーズのカヴァーだった。
他にも「僕の船が入ってくる」や「ウォーキン・イン・ザ・レイン」など、どれも名曲だ。

また、ギター・ファンの間ではよく知られていることだが、ジェフ・ベックがヤードバーズ時代に使用していた伝説的なフェンダー・エスクワィアはジョンから譲られたものだった。

60年代がまた遠ざかってゆく。

ジョンの魂よ安らかに

Rest In Peace

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太陽はもう輝かない
孤独の太陽
ダンス天国
ラヴ・マイナス・ゼロ
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2011. 05. 08  
ポールの3度目の結婚が決まったようだ。
ポール・マッカートニー、婚約を発表!3度目の結婚へ!お相手は都市交通局の幹部51歳のナンシー・シェベルさん
P・マッカートニーさん、3度目の結婚へ

お相手は以前から交際のあったアメリカ人女性ナンシー・シェベル。
ニューヨーク都市交通局(MTA)の役員で、父親はニュージャージー州の運送会社の社長。

2008年に離婚したヘザー・ミルズはポールの娘たちからは嫌われていたが、ナンシーはリンダとは友人でマッカートニー家とは旧知の間柄とのこと。

最愛の妻リンダをがんで亡くし、2度目の結婚では相当つらい目にあったポールだが、今回は本当に幸せな結婚であってほしい。



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2011. 05. 05  
福山雅治の今年のツアー『WE'RE BROS. TOUR 2011 THE LIVE BANG!!』 に行ってきました。

会場のマリンメッセ福岡は開場前から多くのファンがつめかけ、グッズ売り場は長蛇の列でごった返しの状態。
カップルや家族連れ(母親と息子の組み合わせがけっこう多い)、そして全国からの追っかけの方々に混じって年配の男性もいたりしてホッとする。
『龍馬伝』が幅広い年齢層に好感を与え、さらに多くのファンを獲得したことはまちがいない。
それでも観客のほとんどは女性、地響きでも起こすかのようなそのパワーに圧倒され、私も含め少数の男性はちょっと肩身が狭かった。

2月から始まった今回のツアーは震災で一時中断、その後節電、省エネルギーに配慮し、背景のセットを減らす代わりに「東日本応援シート」を作り、その収益を義援金とするなど内容を大きく変更して新たに再スタートしたものだ。

ライブが始まり何曲か演奏した後に震災の犠牲者への黙祷が捧げられ、その時だけはあれだけヒートアップしていた会場が水を打ったように静まりかえった瞬間だった。

ライブには欠かせないノリノリのロック・ナンバーからアコギ1本でしっとり聴かせる歌まで、3時間にも及ぶステージはあっという間に終わった。

カッコよさに加え、生真面目さと観客への気づかい
本当に気持ちの良い人の気持ちの良いライブでした。


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2011. 05. 04  
連休はいつものように長崎へ帰省してきた。
でも、いつもと違っていたことが二つ。

がっかりしたのが黄砂。
せっかくの故郷の美しい景色が台無し、今回はいっぱい写真を撮ろうと思っていたから出鼻をくじかれた感じだ。

意外だったのは行楽地や故郷へ向かう車。
ここ数年続いた節約生活への疲れと震災直後の自粛ムードからの脱却からだろうか、高速道路のサービスエリアは珍しく満車、帰りは連休後半の初日ということもあって九州自動車道は上りも下りも渋滞だった。

被災地の復興には相当な時間がかかることだろうが、この国中がひとつになって頑張ろうというムードが経済にも活力を与え、日本全体の景気回復は案外早いのかも知れない。
どんな政策よりも国民全体に漂うマインドが一番大事なのだろう。


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呼子ノ瀬戸に架かる大島大橋 黄砂がひどく天気が良かったのはこの日だけでした。


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隣町の崎戸町にある旧日本海軍の特設見張所跡


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