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2011. 12. 04  
1970年4月10日、ポール・マッカートニーのビートルズ脱退表明によりバンドは事実上解散、4人はソロアーティストとして再出発をする。

解散はファンにとって大きなショックだったが、一方で、方向性が4倍になったことでビートルズ関係の話題はむしろ活況を帯び、4人それぞれの活動が報道されるたびに胸が躍った。

ジョンは「マザー」、ポールは「アナザーデイ」、ジョージは「マイ・スウィート・ロード」、そしてリンゴは「明日への願い」をリリースし、ヒット・チャートは元ビートルで賑わい、解散したにもかかわらずビートルズ人気健在を証明した。

チャート一番乗りはジョージの「マイ・スウィート・ロード」(70年11月全米1位)だったが、次にナンバー1を獲得したのはジョンでもポールでもなくリンゴだった。
「明日への願い」は1971年4月にアメリカのキャッシュボックス誌で1位を記録、ジョージが言うところのエコノミークラスの二人のビートルが健闘したのは象徴的なことだった。

「明日への願い」はリンゴが作曲したものだが、プロデュースしたのはジョージ、クリームの「バッジ」を思わせるきらびやかで歌心のあるギターを弾いているのもジョージだ。

二人はビートルズ解散後も常に親しく、「バングラ・デシュのコンサート」にはリンゴは真っ先に駆けつけ、またリンゴの事実上の1stアルバム『RINGO』にもっとも多く曲を提供したのはジョージだった。
このアルバムから最初にシングルカットされ、全米1位に輝いた「想い出のフォトグラフ」は二人の共作であり、全編に渡ってジョージのコーラスを聴くことができる。


映画『LET IT BE』は、バンドをまとめていこうとやっきになって強引さばかりが目立つポールと、ヨーコと自分の世界に夢中で何事にも無関心なジョンとが対照的で、ビートルズの終焉を浮き彫りにして見せたが、一方で、リンゴの「オクトパス・ガーデン」をジョージが手伝うシーンは和やかで微笑ましく、暗いこの映画の中で唯一救いとなった場面だ。

思えば、ピート・ベストの替わりにリンゴを入れることを最初に提案したのはジョージだったし、そのためピートのファンに殴られもした。
しかし、ジョージはそのとき出来た青あざを隠しもせずにレコーディングに臨んでいる。

リンゴが加入した当初、ツアー先のホテルであえてリンゴと同室を避けたのは、ジョンとポールに早く親しくなってほしいとの思いからだった。


ここに紹介するのはジョージがガイド・ボーカルを入れた「明日への願い」のデモ・バージョンである。
デモとはいえ、なかなかできが良く、ジョージのボーカルも公式に発表してほしいくらいカッコいい。
オケはそのままリンゴ・バージョンに使われているが、さすがに「ハレ・クリシュナ」のコーラスだけは除かれている。

リンゴ自身が作った曲にデモ・バージョンを提供するのはちょっと変な感じもするが、ここでも親友の初シングルに精一杯協力したいというジョージの優しさが感じられる。


明日への願い

Ringo Starr - It Don't Come Easy
George Harrison - It Don't Come Easy
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